2012年02月02日
LOT165便 国境を越えた愛の為、イングリッド(インクリート)・ルスケとホルスト・フィッシャー、LOT165便決死のハイジャック【奇跡体験!アンビリバボー】2012年2月2日詳細情報
ベルリンの壁(Berlin Walls)の建設が始まったばかりの1961年8月15日、建設現場に張られた有刺鉄線を飛び越えて東ベルリンから西ベルリンへ逃れた瞬間をとらえた写真で知られる東ドイツ兵士、コンラッド・シューマン(Conrad Schumann)さんを描いた彫刻が、ドイツ・ベルリンのベルナウアー通り(Bernauer Strasse)に設置されている。フロリアン・ブロイアー(Florian Brauer)、ミハエル・ブロイアー(Michael Brauer)夫妻とEdward Andersさんが製作した。ドイツは11月9日、ベルリンの壁崩壊から20年を迎える。
写真は、有刺鉄線を飛び越え西ベルリンへ逃れた東ドイツ兵コンラッド・シューマンさんを表現した彫刻(2009年9月18日撮影)。
奇跡体験!アンビリバボー
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/kiseki/index.html
2012年2月2日
「実録!航空パニックSP!!」
冷戦当時、ドイツが東西に分断されていたことで引き裂かれてしまった愛が、とうとうハイジャック事件にまで発展してしまった実際の事件。
1978年8月30日、当時の東ドイツのグダンスクから東ドイツのショェーネフェルトに向かうポーランドの旅客機LOT165便がハイジャックされた。
銃を持ち操縦室を占拠した男はこう叫んだ。
「着陸するな。西ベルリンへ向かうんだ!」男は東ドイツ人で、東ベルリンでウエイターをやっていたたハンス・デトレフ・アレクサンダー・ティーデ(Hans Detlef Alexander Tiede)。
ハイジャックは亡命を求めてのものだった。
客席には男の友人の女性・イングリッド(独語読みで、インクリート)・ルスケとその娘がいた。
デトロフは西ドイツに住む自分の息子と暮らすため、イングリッドは西ドイツ人である恋人ホルスト・フィッシャーと結婚するため、ハイジャックを強行したのだった。
当時ドイツは東西に分断され、東ドイツ側の人間が西側に行く事は禁止されていた。
ドイツの首都ベルリンも東西に分断されていた。
LOT165便は、社会主義国であるポーランドの航空機であり、西側に侵入することはタブーだった。
特に、東ドイツは国外逃亡者に厳しく、LOT165便が西ベルリンの領空に近づく前に、ミサイルを発射する可能性は十分にあった…。
ホルスト・フィッシャーは、西ドイツ、ハンブルグの人間であったが
西ドイツの委託で、東ドイツのエバースヴァルデという街の食肉加工コンビナートを建てる工事の施工管理者として働いていた。
インクリートとフィッシャーは、インクリートがウェイトレスとして従業していたカフェ・モスクワで知り合った。
2人は東ドイツで暮らす夢を抱いていた。
しかし、工事終了の直前に委託契約が失効し、二人は、東ドイツで暮らすという夢を描けなくなった。
煮たりは、東ドイツから出国する計画を企てることにした。
フィッシャーは、偽造書類を入手し、鉄路で別々にグダンスクに行き、フェリーで東ドイツから出国する計画を立てて、実行に移した。
計画には、インクリートの長年来の知り合いであるデトレフも加わった
しかし、彼はすでに20回も東ドイツからの出国を申請していたのだが、すべて却下されていたのである。
そのころフィッシャーの偽造書類が当局に見破られて、フィッシャーは拘束されてしまう。
数日立っても、フィッシャーは待ち合わせの場所、グダンスクに現れなかった。
そこで彼らは亡命計画を急遽変更した。 蚤(のみ)の市でおもちゃのピストルを買ったのであった・・・。
東ドイツ政府は、、ハイジャック機が国境を越えると撃墜した場合は撃墜すると警告。
ハイジャックされたLOT165便に照準を定めた2機のミグ戦闘機が国境上空に待ち受けていた。
このまま撃墜されてしまうのか?
ハイジャックされた航空機は、西ベルリンに近づく。
デトレフはポーランド人スチュワーデスを人質に取った。
そして、西ベルリンに着陸しなかったら彼女を撃つ、と脅迫した。
こうして航空機は、西ベルリンのテンペルホーフ空港に強行着陸。
テンペルホーフ空港では、当時西ドイツに駐留していた米国の特殊部隊がハイジャックされた航空機を迎えた。
結局、ハイジャック犯は逮捕されてしまったが、このあと問題となったのは、航空機の所有者がポーランドだったことだ。
ポーランドは当時東側といわれていた社会主義の国であったこと。
ポーランドは、犯罪者を引き渡という要求を西ドイツに突きつける。
乗っ取り犯に対する刑事裁判を西ベルリンで行えるようにするために、西ドイツ、アメリカ合衆国が画策して、ようやく西ベルリンで裁判が行える運びとなった。
12人のベルリン市民が陪審員に選ばれた。
裁判では、ハイジャックの実行犯であったデトレフに対し自由刑9ヵ月のを言い渡したが、この刑期は取り調べの勾留期間ですでに満了に達していた。
インクリートには2ヶ月の間、弁護士がついてもいなかったために裁判は、中止となった。
フィッシャーは、東ドイツにおいて、亡命援助および人身売買の廉で8年の自由刑を言い渡された。
そして、1989年に連邦共和国の「自由買い」によって釈放された。
「自由買い」とは、西ドイツ政府が毎年、東ドイツの政治犯を買い入れ、その代金は「東ドイツ」に支払われるという闇経済のシステムである。
乗客62名のうち50人が東ドイツ国民であったが、9人が西ドイツに残り、41人が東ドイツに帰った、と報じられた。
冷戦時代、当時のベルリン市は、突如として被害ドイツとソレなどによって壁で仕切られることになった。
それは、まさに一夜で築かれた壁といってよく、壁によって東側と西側に家族が引き裂かれるような悲劇的な事件も多数起った。
その後、東西冷戦時代は、ソ連(ロシア)にゴルバチョフ大統領が登場するなどして、徐々に崩壊。
1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可書発行の大幅な規制緩和を行ったことにより、翌10日には、東西ベルリンの壁が破壊され始めた。
21世紀の現在、むちゃんこ平和な島国、日本も、かつて、太平洋戦争に敗れ、勝利した連合国によって南北に分断される可能性があった。
戦争が終わるまでは、日本国の領土は、北はサハリン(樺太)から、東はアリューシャン列島。
中国大陸の東北部である「満州」。
そして朝鮮半島。
南は、台湾。
戦争終結によって、日本列島の4つの島とその周辺諸島に限定されることになったが。
旧ソ連のスターリン首相は、北海道の北半分をよこせと連合国側に要求していた。
北海道の北半分をスターリンに渡したら、やがて、北海道全部がソ連領となってしまうと、連合国側は判断。
何しろ、ロシアが日本に宣戦布告した「日露戦争」は、不凍港がある北海道を占領したかったからとされている。
連合国側のリーダーであった米国のダグラス・マッカーサー元帥は、スターリンの要求を拒否。
その際、アメリカ合衆国では原爆という爆弾を持っている、という話をチラつかせた、とか。
【旧東ドイツのミッキーマウス】
あまりのブサイクさに心を動かされました。
GDR(German Democratic Republic)、つまりドイツ統合前の東ドイツ製のミッキーマウス?人形。
両手を脇のポッケに突っ込んで、よく見ると、おなかにはどらえもんポケットのようなものがついてます。
大きさは5センチ程度。口に、コヨリのようなタバコをくわえることができ、火をつけるとポンポンと煙が出るようになってます。
一見とっても粗いですが、よく見ると人形としてのフォルムはしっかりしてるようです。
骨はしっかり、デザインはもっさり。そこがドイツっぽい。っていうのは深読み・・・?(笑)
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